フェルマーの最終定理

相方から拝借して、「フェルマーの最終定理」を読む。

フェルマーの最終定理 (新潮文庫)

フェルマーの最終定理 (新潮文庫)

17世紀、ひとりの数学者が謎に満ちた言葉を残した。「わたしはこの命題の真に驚くべき証明をもっているが、余白が狭すぎるのでここに記すことはできない」以後、あまりにも有名になったこの数学界最大の超難問「フェルマーの最終定理」への挑戦が始まったがーー。
天才数学者ワイルズの完全証明に至る波乱のドラマを軸に、3世紀に及ぶ数学者たちの苦闘を描く、感動の数学ノンフィクション!

ヒジョーに面白かったです。
これまでこういった類いの本はぜんぜん読んだことなかったんだけど、ここまでドラマティックな物語になるとはつゆとも思っておりませんでした。



数学の証明で大事なのは、
証明自体の美しさ。
そして自分の人生を費やせるような熱意にあふれた姿勢。
ビックリするくらい、こないだ読んだ「ハッカーと画家」に通じるものがありました。



通じる部分についてはまたここで何かは言うまい。んでその他の雑感は以下三点。


完全に「物語」

この本の最大の魅力といえば、著者であるサイモン・シンストーリーテラーっぷりというんでしょうか。
数学者たちの証明合戦の話なんて、何だかわけのわからない数式やら記号やらでウンザリしそうなもんなのに、難しさでさじを投げたくなるような箇所が本書にはまったくない。


ノンフィクションであるからこその生々しく人間くさいせめぎ合いが、どういった証明の難しさから起こっているのかという点もちゃんと追える内容になってるんです。
この点はほんとにすごい。


人間くささ

ワイルズは、証明を完成するために、じっと自分の部屋にこもります。
またワイルズは、証明の欠陥がみつかっても、その時点の証明を公表して他の数学者たちの知恵を求めるようなことはしません。

なんでかっていうと、「証明した手柄を独り占めしたいから」。
この本が読んでて異常にリアリティがあったのは、これが理由のような気がしました。


ワイルズは、「山登る、なぜならそこに山があるから」みたいな短絡的で嘘くさい動機だけで動いてるわけじゃないんです。
歴史に名を残したい、なのか、賞金が欲しい、なのか、本当のところはわかりませんけど、ただのボランティア精神だけで成り立ってる話ではないのです。


これぞ、ノンフィクションの醍醐味。
人間くささというのがありありと感じられるところ。
自分の仕事で思うことなんかにも絡んでくる要素があったぶん、余計に人間の生々しさみたいなのを感じながら読み進められてよかった気がするのです。

「数学」というもの

数学は、他のどのような学問にもまして"主観を排した学問"である、という文章がでてきます。
「ある理論が正しいかどうかは、人の意見に左右されない」
「数学の論理的構造が、真理の審判者となる」
「科学理論は"正しい可能性が極めて高い"どまり。数学理論はそうではない」
"正しいもの"が絶対的な存在となる世界。
なぜ数学というものが、「実生活に役立たない」とか「やってなんになるの」みたいな大衆の意見をはねのけて、それなりの地位を得ているかは、このある意味唯一とも言える"正しさ"の存在の強さに所以するんでしょうね。

自分も(近からず遠からずというかんじですが)プログラムの世界に足をつけており、この「数学的感覚」が必要だとはぼんやりと感じていましたが、その感覚の力強さは、この本を読んで初めて認識できたような気がします。



まあ、これで数学に興味がわいたかっていうとまったくそんなこたないんですけども。
純粋に面白かった。よい本です。