素晴らしい世界


夕べは友人の結婚披露宴で久しぶりにスピーチしました。
思いっきりすべりました。本当にありがとうございました。


いや、でも本当にいい式でした。家族ってよいなあ、と素直に思える会はやっぱりよいですね。



んで、うってかわって今は名古屋に向かっている途中です。
ばあちゃんが一昨日金曜日に亡くなりまして、葬儀に出席するためでございます。



ばあちゃんは98歳でした。明治生まれでもはや大往生。



上の写真は、東京の方は皆さんご存知だと思うんですが、金曜に東京中で見られた完璧な虹です。
仕事中に訃報を聞いて、その後しばらくして外にタバコ吸いに出たら、この有様。
うーん、あんまりチープな表現は好まないですけど、タイミングがタイミングだけにちょっと関連付けて考えてしまいまして。
10分くらい、ゆっくり消えてトリコ仕掛けにされるまで見続けてしまいました。



虹の付け根でも目指して無心になって歩いて行きたいなあ*1、なんて思いながら、「ばあちゃんは幸せだったのかなあ」と考えてもしょうがない事をぼーっと考えていました。
98年間、命かけて笑ったり泣いたりはしてたんだと思うので、「素晴らしい世界」には確かにいたんだと思うんですが。



ここにあんま詳細書いてもしょうがないので省きますけど、晩年のばあちゃんは、客観的にみたらどう考えても幸せな感じではありませんでした。よく笑ったり泣いたりはしてましたけどね。
素晴らしい世界にいるのと、幸せかどうかはたぶん別もんです。



ばあちゃんが最期に幸せを感じてたのかどうかわからんし、人間はそうそう簡単に「幸せだったなあ」と結論付けて死ねるわけはないと思うんだけども、我々家族がそう思ってもらえるようちゃんと努力し続けられたかって聞かれると、やっぱそれはできていませんでした。



そういう意味で、「お前が結婚するまで死ねない」とずっと言い続けてたのにそれが実現できなかったことは、今更ながらにえらく申し訳ないことをしでかしてしまった気分です。



それに加えて、こんなことを書くのもなんだけどうちの家族は今ほとんど崩壊状態なので、何も言わずともばあちゃんは心を病んでいたんだろうなあ、って感じてしまってもいます。



たぶん、「素晴らしい世界」に生きてるなあっていう充実感は自分自身で得るものだけど、その人が幸せかどうかは周りの人間なしでは決められないんでしょうな。



とりあえず、今日の葬儀ではいろいろ少し話してみようと思います。


素晴らしい世界 2 (2) (サンデーGXコミックス)

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感受性応答セヨ

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キヨシローについて何か書こうと思ってたら、タイミング的にもテンション的にも機会を逸してしまった。

*1:ただ単に仕事から逃れたかったわけでは、ない